飼い犬にかまれ続けて

勝手気ままにライトノベルの感想を書いています。

「ミス・ファーブルの蟲ノ荒園(アルマス・ギヴル)」感想

ミス・ファーブルの蟲ノ荒園(アルマス・ギヴル) (電撃文庫)

〈あらすじ〉
一八世紀に発生し、瞬く間に世界中に広がった謎の巨大生物〈蟲(ギヴル)〉。甚大な被害と引き替えにもたらされた化石燃料によって、世界は大きく変貌した――。
時は「明治」と呼ばれるはずだった時代の少し前。異国への航路で蟲を操る男たちに襲われた少年・秋津慧太郎はある海岸に流れ着く。その右目に奇妙な力を得て――そして辿り付いた荒地で、慧太郎は蟲たちを愛し、その研究と対処とを生業とする美少女アンリ・ファーブルと出会った。もうひとつの近代で幕開く、蒸気と蟲と恋が彩るファンタジー!

虫を見ると乙女のような悲鳴を上げてしまう僕は、この世界では生きていけないでしょう…。
しかしこの作品に登場する勝気な乙女は、虫を愛し、時に虫を護るために戦っている。そんな少女と、心優しい剣士の少年が出逢った瞬間、この物語の幕が開く。

巨大な『蟲〈ギヴル〉』が跋扈する世界。弱肉強食のピラミッドの頂点から突き落とされた人類は、『蟲』の脅威に怯えながらも、『蟲』の死骸が生み出す膨大なエネルギーの恩恵に預かりながら生活をしている。
武士の家系に生まれた秋津慧太郎は、異国の地・フランスに渡るために乗っていた船が『蟲』を操る一団に襲われたことから、仄暗い陰謀へと巻き込まれていくことになる。その過程で『蟲』を愛する何でも屋の美少女アンリ・ファーブルと出逢い、それぞれの想いを抱えながら、『蟲』を操るテロリストたちに戦いを挑む。

まずはこの世界観。巨大化した『蟲』は害と恩恵を同時にもたらすこの世界は「現代」とは違う道筋を行くもうひとつの世界。しかも時代は「明治」よりも前、主人公・慧太郎が武家の血に悩むほど、家系の呪縛が常識として存在していた頃。世界観と混ざり合い、不思議な感覚を抱かせる。

武家の次男でありながら、病弱な兄の代わりに家督を継ぐ運命を背負った慧太郎は腕は立つものの、その優しさから『蟲』にさえ情けをかけてしまう。「跡継ぎに相応しくない」厳しい父に突きつけられた現実に思い悩みながらも、優しさを捨てることが出来ない慧太郎は、アンリと出逢ったことにより、その「優しさ」の在り方を次第に変化させていく。

一方のアンリは、慧太郎の前では言いたいことを言い放つ強気な魔女。優秀なアンリではあるが、『蟲』を好むことから変人扱いされ、通う女子校で孤立していて、本人もそれを良しとしてしまっているところに救いがない。

二人はお互いの考えを知りながら、少しずつ心を開いて行く。
何が正しくて、何が間違っているのか?
正しければ認められる訳ではない。間違っているから断罪される訳ではない。『蟲』に寄生され、異形の存在となり、迫害された人間がテロリストに変わる瞬間。世界の歪みに力で抗おうとする彼等の行動を理解できてしまうアンリと、間違っていることは間違っていると、正そうとする慧太郎の意思がぶつかり合う。『蟲』たちが牙を剥く中で、心を擦り合わせて自分たちなりの正しい道を駆け抜けようとする少年剣士とが大好きな少女の姿は酷く眩しく映る。

ひとつの悲劇に答えを見出して区切りを付けたが、これで終わりではない。普通の人間ではなくなった慧太郎を、いったいどれほど苛烈な運命が待ち受けているのか。しかし慧太郎は男にも女にもモテすぎだろ。